推薦文:ハルに楽器を
この作品に出てくる「ハル」が私も好きなのだと打ち明ける前に、回り道を歩きたい。
さいきん、真面目な話、「心」が他人にもあることをどうも信じられていないような気がしている。相手はおなじ人間なのだから、そりゃ理屈で言えば心なんてあるにきまっているのだけど。いつの日からだったか、映画館の椅子に座っているときだけリアリティをもって目の前を観ていられると思い始めた。もうずっと長いこと私のなかに居座っているこの感覚は、演者の声以外の声がない中で、わたしと映像が混ざり合っているからだろうか。声が混ざり合っているからだろうか。それとは反対に誰かと話すときにはいまいち心の手応えがないと感じてしまうときがある。
映画と同じ頻度ではないにしろ、短歌で出力されたものを見たとき、焼きついてしまった風景に文字を超えた理解のようなものが生まれてうれしくなる、そんな瞬間がある。文字を通してというよりは、そのひとがふれた直接的な風景や手ざわりの感触であり、あるいはありありと内面がゆれていて。物事をここにあるものだけで言い表すしかない感じを受けるとき、強くそう思う。
善人じゃないと気づいて人生はようやく冬の薔薇に追いつく
だから嬉しかった。歌集を読み進めていくと出会うことができる、あきらかにらんらんと輝くこの歌は、言葉で考えると捉え損ねる冬の薔薇のテクスチャーや、それが花開く時のゆっくりとした動きの感覚をとじこめている。このように出力されてくるものがひどくうれしいと思う。ああ、あなたにも心があったのですね、と。
レテ/移動祝祭日の歌は素直だ。そう受け取れるように作る技量があることもみとめつつ、その印象をわたしに思わせる一因に語彙の不安定さがある。みんなが詠み込むのを躊躇うなか詠み込まれた語彙や事柄がある。無意識で詠み込んだものもあるだろうし、意識しつつそれでも書いている歌もある。
この子の目、真珠なのかと黒目なき失明犬を抱く夏の朝
もちろん、このような語彙や考えは理性の判断を受ける前の段階で、多くの人のなかにある。お酒の席で親しい友人しかいないときなど、聞く人が聞けば怒るような言葉を私たちはたやすく吐きだすだろう。それが文字を書くという自覚的な行為のフィルターを通しても除去されずに発露してくる。わたしはこう考えましたよ、というのが短歌としてまっすぐあがってきているように見える。この歌集における語彙の不安定さは素直さとコインの裏表だ。
「歩く」主体の姿も印象的で、『レテ/移動祝祭日』では〈花曇る街あちこちが滲むようで春の初心者みたいに歩く〉のように、主体がよく歩いている。不安定さは街中をのんびりと歩く影響を受けているのではないかと想像してしまう。わたしたちの心は歩けば歩くほどさまようから。歩くことと、素直さや不安定さは相性がいい。
散歩していて、いつのまにか過去や未来につながってしまったりする。そのさまよいの果てにぽろっと出力された言葉。他にも〈歯医者ゆく抜けた青空ミンティアをしゃかしゃかいわすくらいの早足〉や〈吐瀉物をよけて歩けばもしここで転んだ自分を想像している〉など、たくさんの歩いている歌がある。歩くことが好きなひとなのだ。
そうやって組み合わされた歌たちには語彙レベル、文体に彩りがある。〈花曇る〜〉の歌は先ほどあげた冬の薔薇の歌とはまったく違った甘い香りがするように、この歌集にはいろいろな歌が共存している。このバリエーションは考えを出力するベースにある素直さや、作者の生活に浸透しきった歩くという行為が作り出すものだと、そう言ってみたい。振れ幅は小俵作品のおおきな特徴だ。
けれど、素直さも不安定さも、心が写し取られている歌があることだって、じつはそんな歌集はいくつもあって、それらの要素は歌集をひとつひとつ磨いているけれど一番の魅力なのかというとそうではない。この歌集をとくべつ眩しくするのは紛れもなく、移動祝祭日、その移動祝祭日に生まれた「ハル」だ。ハルに引き出されてくる丸裸の心こそが、この歌集においての重心。もっとも響いている光。
水筒を両手で持って空を向くハルに楽器を持たせてみたいうつくしい日に手を繋ぐ 本当にふたりきりだとおもってしまった
素直であることも不安定であることも、歩くことも、このハルの歌群を光らせるためにあったのだと、ぼくにはそう見えはじめた。だって、こんなにも切実な。この切実さが伝わってきたのは歌集の言葉が素直な出力の上に成り立っていると思えたからで、格好つけた歌ばかりでも生活を重んじる歌だけでもぼくは受け取れなかっただろう。やっぱり周りに起こることや自分が思ったことが率直に混ざり合った歌集だからこそ、ハルと会える喜びがほんとうに光る。ハルはたまにしか会えない娘として描かれていて、この子が出てくる歌の発光量は他の歌とは段違いに多い。心、心、心。心が前に出て、技術よりもなによりも心そのもののような歌だ。
移動祝祭日という言葉の意味を知らなくて、調べてみた。ヘミングウェイがパリを移動祝祭日と言ったのは、パリで過ごした記憶が幸福として彼の人生についてまわるように移動したからだという。〈海の日は移動祝祭日だから今年のハルは海の日生まれ〉。ハルの存在をすべて肯定し、愛しく思う気持ち。ハルが生まれたこの日を祝福するために、移動祝祭日といううつくしい言葉を手渡したこの心はどうみたって嘘じゃない。
ハルと関わる歌の中で私がいちばん好きな一首を最後に引いて終わりたい。どこかに書いてあるわけではないけれど、黒目川は歩いている途中にみつけた、それはそれはたいせつな川なのだと思う。
生き延びて欲しくて見せるどの道もくだると黒目川に着くこと
この文章は、短歌のDiscordサーバー「ヨミアウ」で作った『冬気球』という合同歌集におさめた文章です。短歌を読むことを楽しむ本を目標につくりました。ぜひ歌集の方もご一読いただけますと幸いです。