推薦文:肝臓のブルース・二日酔いのエレジーに宛てて
酒を飲まなくなって、しばらくが経つ。国民一人当たりビール消費量、152リットル。現在私が居住しているチェコ共和国は、国民一人当たりのビール消費量が世界一の国だ。世界第二位のドイツと比べてダブルスコア、日本人平均からすれば四倍もの量を飲んでいる。
そんな場所にいながらビールを飲まなくなった。ビールだけではなくアルコール全般を極力口にしなくなった。それは私の落ち度であって、酒やこの国に問題があるわけではない。
もともと私は酒が好きだった。今も好きだ。友人を誘うときも大体は飲みの場で、その空間や時間そのものを愛していたと言っていい。しかし、ひょんなことから遺伝的な事情に端を発する不安を抱くようになり、酒をやめてしまった。誕生日やクリスマスなど、特別な日には少量飲むこともあるが、その不安が消えることはない。飲むこと自体は今も楽しく、酒そのものは相変わらず素晴らしいけれど、かつての飲酒とはどこか感覚が違う。
世界中の因果がひっくり返っても酒を飲みたいから酒を飲む酔えなくても酔い潰れても当方の落ち度であって酒は悪くない『鬼と踊る』/三田三郎(左右社)
三田三郎『鬼と踊る』は、2021年に左右社から刊行された覇気あふれる歌集である。とくに輝いているのは、「肝臓のブルース」「二日酔いのエレジー」という二つの連作だ。洗練の果てにあるこの二つのタイトルに畏敬の念を抱かない者がいるとすれば、それは酒を飲まない人でしかあり得ない。
まず私が惹かれるのは、社会に対する諦念から立ち上がる怒りの眼差しである。とりわけ労働への恨み。断言するが、こうした感情を抱くことは、労働者として身を置く限りきわめて真っ当で自然な反応だ。時間も身体も切り分けられていくことへの怒りは、ノーブレス・オブリージュの欠けた環境であればあるほど、濃度を増して湧き上がってくる。
現代においては、睡眠でさえ労働を再生産するためのサイクルに組み込まれた。休息は再び働くための投資としての意味を付与された。そうした暮らしのなかで、役に立たない行為が次第に排除されていくのは悲しくも自然なことといえるだろう。そのとき、酒をしこたま飲むという行為は、逃避や堕落という浅い理解にとどまらない。翌日をあえて損なうその選択は、人間が人間であるための魂をもう一度おのれの手に掴み直そうとする前進とさえいえる。
<健康の前借りをして飲む酒で五臓六腑がみな火の車>。酔う、潰れる、それでも酒を口に運び、管理された生から一瞬だけ身を引き剥がしている。もっとも、月曜日の朝にそんな高邁な思想は一切役に立たず、後悔に襲われるのだが、それでも追加の一杯を手を伸ばさねばならないときがある。
だからこそ、この限りない覇気をまとった歌集の前に立ったとき、これほど貧弱な身体と精神を抱えてしまった自分が、今はただひどく恥ずかしい。死の不安、健康への憂慮を超えて飲むべきなのではないかと熱気のなか問われ、それでもなお足が動かないのだった。
私がこの国に持ってきた歌集は七冊しかない。その中に『鬼と踊る』を入れたのは、優れた酒の歌が数多く収められていることを知っていたからで、世界一のビールの国で「肝臓のブルース」を読むべきなのは明らかであった。それにもかかわらず、読み返しているこの瞬間がこんな体たらくである。
申し訳ない。