同じ人が書いた、俳句と短歌
正岡子規は、俳句と短歌の両方をつくっていた人です。二つを並べてみます。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺正岡子規(俳句)
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる正岡子規(短歌)
鑑賞:十四音の差で何が変わる?
俳句のほうは、柿を食べた、鐘が鳴った、法隆寺。三つのことを置いただけで、気持ちは一言も書いていません。
秋の空気や、旅の静けさは、読む人が想像します。俳句は、風景を「切り取る」詩形といえるでしょう。
短歌のほうは、薔薇の芽が六十センチほど伸びた、そのとげがまだやわらかい、そこへ春雨が降る。
見たものを、ゆっくり、細かく追いかけています。最後の七・七があるぶん、一つのものにじっと目をとどめていられるのです。
短歌は、音数を使って、直接的に気持ちや考えを書くこともできます。
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ若山牧水『海の声』
「白鳥は哀しからずや」と、はじめから問いかけています。
俳句では、季語を活かして物を描写することが多いため、気持ちを前面に押し出すことはあまりありません。
違いをまとめると
- 音の数:短歌は31音(57577)、俳句は17音(575)
- 季語:俳句は原則として入れる、短歌は必須ではない
- 数え方:短歌は「一首」、俳句は「一句」
- 書けること:俳句は一瞬の景色を切り取る。短歌は景色に加えて、気持ちの動きまで書くこともできる。
「575の短歌」はある?
ありません。575で終わるものは俳句(季語がなく、ユーモアのあるものは川柳。無季俳句というものもある)と呼ばれます。77まで続いてはじめて短歌になります。
ここが入門ポイント
俳句は「景色を切り取る」、短歌は「景色に加えて、気持ちまで乗せられる」。音数があるぶん、景色のほかにも伝わってくる感情に注目して読んでみましょう。
次に読みたい一冊
最後の77まで、気持ちを堂々と書ききった歌集。与謝野晶子『みだれ髪』。