まず、この一首
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる斎藤茂吉『赤光』
鑑賞:「かはづ」は季語?
「かはづ(かわず)」はかえるのことで、俳句では春の季語です。でも茂吉は、季語だからという理由で「かはづ」を使ったわけではありません。
死が近い母のそばで寝ている夜。外では、遠くの田んぼのかえるが、空まで響くほど鳴いている。かえるの声は、春の命のにぎやかさそのものです。その声のなかで、母の命だけが消えていこうとしている。季節の言葉が、悲しみをいっそう深くしています。
つまり短歌では、季節の言葉は「決まりだから入れるもの」ではなく、「歌の効果を引き出すために入れるもの」といえるでしょう。
季節の言葉がない名歌
逆に、季節がまったく出てこない名歌もたくさんあります。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る石川啄木『一握の砂』
この歌は、春でも冬でも成り立ちます。季節がないからこそ、毎日ずっと続く暮らしの苦しさが伝わります。
どう使い分ける?
- その日の空気や時間を伝えたいとき → 季節の言葉が役に立つ
- いつでも変わらない気持ちを書きたいとき → 季節を入れないほうが良いこともある
- 季節の言葉を入れたら、「暑い」「寒い」は書かなくてもいい(言葉が重なってしまうため)
「季語を入れなさい」と言われたら
たとえば学校の宿題などで、先生によっては、練習として季節の言葉を入れるように指導することがあります。その場合は、先生の指示に合わせて季語を使ってみましょう。
短歌のルールとしては不要ですが、季節を一つ決めると、書くことが見つけやすくなるのも本当です。
短歌に季語のルールはない。でも季節の言葉は、実際の景色をよりあざやかに伝えたり、気持ちを託したりできる強い道具になる。入れるなら「なぜこの季節なのか」を考えてから。
次に読みたい一冊
ロマンチックな理想が「吹雪から猛吹雪になる」。北国の冬の言葉が、現実への拳になる歌集。北山あさひ『崖にて』。

吹雪から猛吹雪になる
北山あさひ『崖にて』
北山の短歌は、拳だ。殴りかかってくる現実に向けて、繰り出されるカウンターの拳。殴りかかってきた方も、まさか殴り返されるなんて思ってないからびっくりしている。
推薦文:武田ひか 推薦文を読む →